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Winds of Happiness
2025.10.11

【人生いつからでも学び直し】第25回 『「実践経営学」入門』

人生の大学院 
~幸福の科学 大学シリーズ~ (#2)

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┃ 2┃Pの書斎より:無欲の大欲
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ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ プロフェッサーの金子一之さんのコラムをお届けします。

 「無欲の大欲」の人というと、釈尊やイエス・キリスト、日本の偉人で言えば聖徳太子が思い浮かびますし、よく例に挙げられる西郷隆盛、あるいは経営者の松下幸之助氏もそうだったと言われます。「無欲」と「大欲」という言葉は、互いに対極をなす意味なので、わかるようでわからない気持ちになります。そこで、「無欲の大欲」について幸福の科学教学に基づいて論点を整理してみます。

 第一は、「公のための欲」、すなわち強い奉仕の気持ちを持って生きることです。偉人の例でもわかる通り、大欲を持っている人は個人的に無欲です。確かに、リーダーがこのような心境でなければ多くの人の支持は得られず、大きな仕事を成せません。一方、人々を力や恐怖で押さえつける覇道型のリーダーは、一時期、華々しく活躍できても、その後は哀れな末路をたどるケースがあります。その意味で、王道型の徳あるリーダーの条件です。

 第二は、「無我の悟り」です。「無欲の大欲」の心境で生きることはそう簡単にできそうもありませんが、この難しさは、「宗教的な悟り」と関係しているからだと思います。無我の対極は自我ですが、我が強くなりすぎると神仏の光が降りてこず、神仏の御手足としての仕事ができなくなります。すなわち、己を空しくする人ほど、神仏の光、ご加護を受けて、大きな理想を成し遂げられるのです。
第三は、この無我が、「偉大なる大我とつながっている我」という確たる自覚に基づいている点です。つまり、根本仏の大きな念いが個別の生命として表れて、花を咲かせているという認識です。

 第四は、「真の武士道精神」です。自分中心に考えがちな心を戒め、厳しい自己鍛錬のもと無我という霊的自己の自覚の持ち、公のために尽くしたいという心へと自己変革し、聖なる自己実現である神の手足となって生き切る武士道の心です。

 『成功の法』『人格力』『大悟の法』『天御祖神 武士道を語る』等の経典と併せての学習をお勧めいたします。

著者プロフィール

金子一之(かねこ かずゆき)
 1964年生まれ。武蔵野大学大学院修士課程修了。1990年より幸福の科学に奉職。現在、HSU人間幸福学部プロフェッサーとして、幸福の科学教学、宗教学を担当。著書に、『宗教対立を克服する方法』(幸福の科学出版)などがある。


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┃ 3┃この感動をあなたに~映画編:『六つの顔』
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 『国宝』という映画が長期的なヒットを続け、観客動員数が1,000万人(2025年9月24日現在)を超えた。映画『六つの顔』は、その国宝の名をそのまま体現する狂言の人間国宝、野村万作の芸能生活を描いた作品。映画『国宝』で伝わってきた伝統芸能にたずさわる者の克己する心が、見事なまでに描かれている。芸歴は実に90年、3歳で舞台に立ったときの役柄は、演目「靭猿(うつぼざる)」の“子猿”だった。六つの顔は、その子猿の顔をはじめ、万作が影響を受けた人物の顔などさまざまに映ろう。

 およそ650年にわたって受け継がれてきた「狂言」は、笛や太鼓などの楽器を使う「能」と同じく「猿楽」をルーツに持つ。だが、主に貴族階級の悲哀を描いた「能」とは異なり、「狂言」は、楽器を用いず、庶民の生活を題材とした滑稽な喜劇的な要素を持つ。

 さて、今もなお、舞台に立ち続ける野村万作だが、驚くべきは93歳にして体幹はぶれることなく、日常においても軽やかに闊歩する。本作品の見どころとして、万作のことを息子、萬斎、孫、裕基が忌憚なく語る場面だ。万作の美しい佇まい、正直な生きざまはもとより、その人格すべてが国宝という名にふさわしい。

 2023年、文化勲章を受章した翌年、その記念講演として、万作はライフワークとして磨き上げてきた狂言「川上」を演じた。「川上」は、ここ十年、盲目となってしまった男が、霊験あらたかな「川上の地蔵」によって目が見えるようになったものの、妻との悪しき因縁により離縁しなければ、再び盲目になるというお告げを受ける。それを聴いて腹を立てた妻は、絶対に別れないと宣言。ついに承知した夫は再び盲目になるという因果の理法、前世の報いを描いたシリアスな物語だ。本編ではこの「川上」が全編収録されており、改めて「狂言」の魅力を垣間見ることができる。

 監督はかつて『黄泉がえり』の脚本、『ジョゼと虎と魚たち』、『眉山』などの作品で知られる犬童一心、俳優のオダギリジョーがナレーションを担当。野村万作と萬斎が監修を務めた。

文責:木藤文人


『六つの顔』公式サイトはこちらへ
(『六つの顔』ポスター画像は、https://www.culture-pub.jp/six-face/ より引用)


*** 参考文献 ***

 芸能界にも「公」と「私」はあるのだろうと思いますが、やはり、トータルで見られていて、だんだん上に上がれば上がるほど、網の目は細かくなり、逃げられないようになっていると思います。したがって、「背中の毛穴から生えている毛の一本一本にまで神経が通っている」という感じにならなくてはいけないのではないでしょうか。そのような、いろいろなものを通り越して、最後に評判が上がってくるのではないかと私は思うので、最終的には、不当な成功がずっと続くことはないのではないかと思います。

 もっときれいにお化粧をしたり、きれいな服を着たり、体型を維持したりすることも、この世的にはあるだろうと思いますが、それだけで最終まで行けると思ったら間違いです。大事なのは、やはり、「心の問題」であり、「対人関係の問題」であり、最終的には、徳力の問題、「徳があるかどうかの問題」なのではないかと思います。「そこまで思い至らない人は、“それまでの人”である」と言わざるをえないのではないでしょうか。

(PP.90-92)

※以上『仏法真理が拓く芸能新時代』より抜粋

編集者プロフィール

木藤文人(きどうふみと)
 ジャーナリスト、宗教家。
大学を卒業後、大手広告代理店に勤務。フリーとして独立後、「週刊東洋経済」「プレジデント」「経済界」「ザ・リバティ」等の執筆を経て、2007年、幸福の科学出版に入局。『天国に還るための終活』等、編著も多数。


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