「煩悩の闇」か、それとも「長寿社会の理想」か 瀬戸内寂聴を霊査する
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なぜ「愛欲小説」を描きつづけたのか?
「脱原発」に執念を燃やした理由とは?
日本天台宗の尼僧にして、90歳をこえてもなお、創作意欲を持ち続けた女流作家。
その恋愛観、人生観、国家観に迫った書。
煩悩を肯定するその信仰は人びとを救うのか?
愛欲や名誉欲の先に「悟り」があるのか?
宗教ジャーナリズムが、「真実」を検証。
■■ 瀬戸内寂聴の人物紹介 ■■
1922~2021年。小説家。天台宗の尼僧。1957年『女子大生・曲愛怜』の新潮同人雑誌賞を皮切りに、1963年『夏の終わり』で女流文学賞、1992年『花に問え』で谷崎潤一郎賞など、数多くの文学賞を受賞。恋多き作家として知られ、1973年に中尊寺で得度。
◇◇ 霊言・守護霊霊言とは ◇◇
「霊言現象」とは、あの世の霊存在の言葉を語り下ろす現象のことをいう。これは高度な悟りを開いた者に特有のものであり、「霊媒現象」(トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる現象)とは異なる。外国人霊の霊言の場合には、霊言現象を行う者の言語中枢から、必要な言葉を選び出し、日本語で語ることも可能である。
また、人間の魂は原則として六人のグループからなり、あの世に残っている「魂のきょうだい」の一人が守護霊を務めている。つまり、守護霊は、実は自分自身の魂の一部である。したがって、「守護霊の霊言」とは、いわば本人の潜在意識にアクセスしたものであり、その内容は、その人が潜在意識で考えていること(本心)と考えてよい。
「脱原発」に執念を燃やした理由とは?
日本天台宗の尼僧にして、90歳をこえてもなお、創作意欲を持ち続けた女流作家。
その恋愛観、人生観、国家観に迫った書。
煩悩を肯定するその信仰は人びとを救うのか?
愛欲や名誉欲の先に「悟り」があるのか?
宗教ジャーナリズムが、「真実」を検証。
■■ 瀬戸内寂聴の人物紹介 ■■
1922~2021年。小説家。天台宗の尼僧。1957年『女子大生・曲愛怜』の新潮同人雑誌賞を皮切りに、1963年『夏の終わり』で女流文学賞、1992年『花に問え』で谷崎潤一郎賞など、数多くの文学賞を受賞。恋多き作家として知られ、1973年に中尊寺で得度。
◇◇ 霊言・守護霊霊言とは ◇◇
「霊言現象」とは、あの世の霊存在の言葉を語り下ろす現象のことをいう。これは高度な悟りを開いた者に特有のものであり、「霊媒現象」(トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる現象)とは異なる。外国人霊の霊言の場合には、霊言現象を行う者の言語中枢から、必要な言葉を選び出し、日本語で語ることも可能である。
また、人間の魂は原則として六人のグループからなり、あの世に残っている「魂のきょうだい」の一人が守護霊を務めている。つまり、守護霊は、実は自分自身の魂の一部である。したがって、「守護霊の霊言」とは、いわば本人の潜在意識にアクセスしたものであり、その内容は、その人が潜在意識で考えていること(本心)と考えてよい。
目次
まえがき
1. 日本天台宗の広告塔、瀬戸内寂聴氏守護霊に訊く
2. 「日本天台宗のスター」を自称
3. 「愛欲なくして仏教なし」と豪語
4. 「仏教の本質」に関する“迷言”
5. 「地獄と極楽」が倒錯した世界観
6. 「魔即人間」「魔即仏」という極言
7. 「反原発」の本当の狙いとは?
8. 寂聴版『源氏物語』もノーベル賞狙い?
9. 「最澄と夫婦だった」と繰り返す
10. 瀬戸内寂聴氏のあいまいな「過去世」
11. 日本天台宗から「頼まれていること」とは
12. 瀬戸内寂聴氏守護霊の霊言を終えて
あとがき
1. 日本天台宗の広告塔、瀬戸内寂聴氏守護霊に訊く
2. 「日本天台宗のスター」を自称
3. 「愛欲なくして仏教なし」と豪語
4. 「仏教の本質」に関する“迷言”
5. 「地獄と極楽」が倒錯した世界観
6. 「魔即人間」「魔即仏」という極言
7. 「反原発」の本当の狙いとは?
8. 寂聴版『源氏物語』もノーベル賞狙い?
9. 「最澄と夫婦だった」と繰り返す
10. 瀬戸内寂聴氏のあいまいな「過去世」
11. 日本天台宗から「頼まれていること」とは
12. 瀬戸内寂聴氏守護霊の霊言を終えて
あとがき
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無名の人 様2019/06/25
★★★★語るに落ちる。質問に答えても落ちてるが。
「天台宗が日本に入ってきた以上、それは中国のもの、「属国」なのよ、日本も。とっくになってるのよ」「日本が滅べばいい。それが仏教」とあった。
天台宗、おわった。果実が悪すぎる。
仏陀の前でウソはつけないものだと思った。
新潟県/70代/男性 様2015/09/03
★★★★★有名人は発言に責任を持て
私は真面目人間なので、特に有名人には発言に責任を持ち、真理の探究に努めてほしいと思っている。表現や言論の自由以前の問題であると思う。