心に若さを、永遠に灯し続けている人になろう
「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」で始まるサミュエル・ウルマンの「Youth」、日本では「青春(の詩)」をご存知でしょうか。「Youth」は、彼が70歳を超えて書かれた詩です。そして、「大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受け取る限り人の若さは失われない」と答えが導き出されます。心に若さを、永遠に灯し続けている人を、私たちは “夢人”と呼びます。
※松永安左エ門訳を引用
◆◇目次◇◆
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1 夢人シリーズ:マザー・テレサ 編〈前編〉
2 夢人コラム:生きがい
3 夢人になるためのヒント:健康と幸福へのヒント2
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┃ 1┃夢人シリーズ:マザー・テレサ 編〈前編〉
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イエスの花嫁となったマザーテレサの物語。1937年5月、聖テレサは、残された全生涯を花嫁としてイエスに捧げるための最終承諾を宣言するために、修道院のチャペルに臨んでいました。27歳の時ですから、87年の生涯のうちの60年間をイエスの花嫁として過ごしたことになります。彼女は、イエスの苦しみや痛みを和らげることができないのなら、彼女自身が十字架の上で、イエスとともに在りたいと願い続けたのです。
マザーテレサの本名は、アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。ギリシャの隣国、当時の北マケドニア共和国の首都スコピエで生まれました。ゴンジャとは、アルバニア語で「花のつぼみ」という意味です。快活で明るく、困っている人を見かけると助けたいという思いで、居ても立っても居られないような優しい女の子でした。
両親は熱心なクリスチャンでしたが、アグネスが9歳のとき、父親を亡くします。その後、18歳でアイルランドの修道院に入りますが、そのときの修道女としての名前がテレサでした。ほどなくしてインドに旅立つことになりますが、その後、コルカタの高等女学校の教師として、地理の科目を教えました。充実した日々でしたが、学校に通って来られるのはお金持ちの子どもだけだったのです。
いたたまれない気持ちで修道院を出た聖テレサは、貧しい家の子どもたちに文字を教え始めました。このとき彼女は36歳ですが、その折の心境について「わたくしの召命中の召命、第二の召命でした」と後に語っています。マザーテレサはこの日を「インスピレーションの日」として祝うようになりました。
さて、教室は、地面に棒で字を書くという青空教室でしたが、貧困から抜け出すには教育が必要だと考えたゆえの決断でした。その後、聖テレサは「神の愛の宣教者会」を起ち上げます。かつての教え子たちが駆けつけ、その代表として「マザー」と呼ばれるようになりました。
また、マザーテレサはヒンドゥー教のお寺の片隅を借りて、「死を待つ人の家」と名づけ、身寄りもなく路上で倒れている人々を運び入れ、最期を看取りました。その際、キリスト教の信仰を押しつけることなく、それぞれの宗教の儀式にのっとって見送ったといいます。「死を待つ人の家」は、たとえ回復の見込みがない病人であっても、何よりもつらいことは誰からも相手にされないことだという彼女の考えからつくられたのです。
参考文献:『小さなひとりの大きなゆめ マザーテレサ』/『マザーテレサ 来て、わたしの光になりなさい!』
文責:木藤文人
*** もっとおススメ本 ***
●『マザー・テレサの宗教観を伝える』
―神と信仰、この世と来世、そしてミッション
/大川隆法(著)
/1,540 円(税込)
(2013年9月発刊)
〈本文より抜粋〉
私には、なぜ、平和や幸福、繁栄を享受している国がある一方で、いまだに貧しくて不幸な状態にある国、ときには、殺し合いをするような戦争状態にある国があるのか、分かりません。あなたは、「それは、文明化が進んでいないからだ」とおっしゃりたいかもしれませんね。しかし、神によって創られた国々には、かなりの違いがあり、この地上世界には、多様性があるのです。(中略)
ただ、私は思うのですが、先進国に住んでいる人々には、「貧困のなかにある人々を救う」という聖なる責任があるのではないでしょうか。また、「大きな力には大きな責任が伴っている」ということも申し上げておきたいのです。(中略)
日本やアメリカ合衆国のような大国が、もし、実際に、本当に素晴らしく、福音を受け、神からの幸福の言葉を受けているなら、彼らには、他の未開発あるいは発展途上の国に対する責任があるのです。彼らのことを忘れてはいけません。あなたがた、日本は、彼らのことを忘れてはいけないのです。
(PP.61-63)

