人生の大学院
~幸福の科学 大学シリーズ~ (#2)
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┃ 2┃Pの書斎より:縁起について考える
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ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ プロフェッサーの金子一之さんのコラムをお届けします。

「縁起」は、仏教の大切な教えですが、その中心的考え方は、「播いた種によって、あるいは努力によって、人生は変わっていくものだ」という自助努力の精神、西洋にいうセルフ・ヘルプの精神にあります(『青春に贈る』第1章参照)。『不滅なるものへの挑戦』には、一流芸能人の隠れた努力の凄さが挙げられています。たとえば、俳優の岡田准一さんは、高校生の頃から、毎日、本を一冊読み、映画を三本見る習慣を、意識が朦朧としながらも続けていたと言います。「努力」が、多くの人に感動を与える秘訣であるならば、努力というのは素晴らしいものだなと思います。
「努力が続かないので苦手」と感じている人もいらっしゃると思いますが、努力を継続する力はどこにあるかと考えてみるに、私は、心の力、仏性の力を信じられることにあるのではないかと感じます。努力は、よりよい未来をつくるためにあると思いますが、この未来は、まだ現実になっていないので、目には見えないものです。この目に見えないものが現実化されるのは、縁起の理法=原因結果の法則によってなのです。その第一原因とは何か。私たち一人ひとりの心のなかの「思い」「考え」です。これが努力によって、結果としてこの世に現れてきます。
結果が出るまでには時間がかかります。その間に必要なのが「忍耐と努力」であり、忍耐する力は、原因に応じた結果が必ず現れてくると、心の底から信じ切れるかにかかっています。努力が続かないのは、結局、原因・結果の法則、縁起の理法が信じられないからではないでしょうか。しかし信じ切れたら、未来に対する希望が心の底から湧いてきます。希望が持てたら、人間は継続した努力が可能なのです。すなわち、努力を続けて積み重ねる力とは、勇気であると思います。目には見えず現実になっていない希望の未来を信じる「勇気」であり、縁起の理法を信じ切る勇気、「信仰」の勇気なのだと思います。
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┃ 3┃この感動をあなたに~映画編:『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』
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シリーズ3作目に当たるこの作品は、ジェームス・キャメロン監督によるSF超大作として話題になりました。22世紀、人類は希少な鉱物を求めて神秘の惑星パンドラへと赴きます。そこで「ナヴィ」と呼ばれるパンドラの種族と人間のDNAを組み合わせた肉体(=アバター)を操ることで、人体にとって有害な大気の問題を解決し、鉱物を採掘することが可能になったのです。元々このプロジェクトに参加した元兵士ジェイクは、パンドラの生命を脅かす自らの任務に疑問を抱きます。やがてナヴィの族長の娘ネイティリと恋に落ち、その後、人類との熾烈な戦いを繰り広げることになったのです。
本作品では、この惑星パンドラへの侵攻を再び開始した人類に、ジェイクは再び立ち向かいます。物語の前半は、パンドラの神エイワに選ばれしジェイク一家に降りかかるさまざまな試練が描かれています。先の戦いで最愛の長男を亡くしたネイティリは、その死を受け入れることができず、苦悩のなかに人類への憎しみを加速させます。戦いのなかで負傷したネイティリとジェイクの間には、不信感が生まれ、互いに孤立してしまう様子が描かれています。しかし、彼らはそうした試練を乗り超え、パンドラの神エイワに恭順し、再び困難に立ち向かうのです。一方で、人類に加担したアッシュ族の悲劇が描かれている点も対照的です。パンドラの神エイワを〝弱き神〟であると罵り、族長であるヴァランの欲望に唆された姿が描かれています。この映画のタイトルでもある「憎しみの炎は、悲しみの灰を残すだけ」が、象徴的に綴られています。
印象的なのは、養女キリが救いを求めてパンドラの神エイワにコンタクトをするシーンでしょう。今回、彼女の出生の秘密が明らかにされますが、聖母マリアの処女懐胎というキリスト教的な背景をイメージさせます。自らの内面と真摯に向き合い、自らの無垢な魂を差し出したキリはエイワとの対面を果たすのです。作品での映像美は言うまでもなく、ダイナミックな空中戦はリアルであり、知らずのうちに臨場感に満ちた場面に引き込まれてしまいます。登場人物たちの内面の変化に、試練からの希望を見いだすことのできる作品です。
文責:木藤文人
『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』 公式サイトはこちらへ
(『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』ポスター画像は、https://www.20thcenturystudios.jp/movies/avatar3 より引用)
*** 参考文献 ***
現代人は、仏神の心に「従順」に生きるという言葉の意味すら忘れ、傲慢になっています。あの世を否定し、神も仏も否定したところに現れるものは何でしょうか。それは利己心のみを“神の心”“仏の心”と称する考え方です。現代では、「自分自身をかわいく思う心がすべてである」という考え方が強くなってきています。しかし、それは、はたして理想的な姿でしょうか。そうではないはずです。
(P.139)
※以上『繁栄の法』より抜粋
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