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Winds of Happiness
2025.07.18

【「夢人たち」生涯現役人生】第8回 山崎豊子 編〈後編〉

心に若さを、永遠に灯し続けている人になろう

 「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」で始まるサミュエル・ウルマンの「Youth」、日本では「青春(の詩)」をご存知でしょうか。「Youth」は、彼が70歳を超えて書かれた詩です。そして、「大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受け取る限り人の若さは失われない」と答えが導き出されます。心に若さを、永遠に灯し続けている人を、私たちは “夢人”と呼びます。
※松永安左エ門訳を引用

◆◇目次◇◆
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 1 夢人シリーズ:山崎豊子 編〈後編〉
 2 夢人コラム:心のふれあう場所
 3 夢人になるためのヒント:8つ目
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┃ 1┃夢人シリーズ:山崎豊子 編〈後編〉
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 直木賞を受賞した山崎は、作家としての師である井上靖から激励の言葉を受け取ります。「『暖簾』も『花のれん』も立派でしたが、併し、仕事はこれからだと思います。(中略)橋は焼かれたのだから、もう仕方がない。……」と。山崎は職業作家への道を志します。
受賞のときに、これからのテーマについて質問された山崎は、「大阪のおなご」と答え、もう一つのテーマとして「金銭欲」と答えました。その後、編集者の齋藤十一と出会いますが、彼こそ、駆け出しの山崎の才能を見抜き、新聞の連載小説を書かせた人です。彼は当時、山崎にこう言ったといいます。「あなたは、おそらく生涯、原稿用紙と万年筆があればいい人なんだ、臆せず書くことですよ」。

 1959年、『ぼんち』の連載を開始。大阪・船場で四代続く足袋問屋が舞台で、船場のしきたりを描いた作品といえます。この連載時、山崎は結核を再発し、闘病を続けながら執筆しています。1960年、『女の勲章』が毎日新聞で連載開始。ファッション界に渦巻く生々しい欲望や虚栄心、一人の男に翻弄されてしまうデザイナーの悲運が描かれます。その後も数々の名作を生みだし、1966年、山崎が42歳のときに世に送り出したのが『白い巨塔』でした。ところが架空の設定であったにもかかわらず、医学界から激しい反発がありました。この作品は社会派ドラマとして幾度も映像化されますが、院内の権力闘争をベースに展開される物語で、視聴者は配役たちに感情移入することで一気に魅了されました。

 1976年、『不毛地帯』を発刊。不朽の名作と言われるこの作品の主人公、壱岐正は、実在する人物である瀬島龍三をモデルの軸として描かれました。彼は、軍人としての人生を出発点として、やがて、太平洋戦争で大本営参謀を務めます。しかし、戦後はシベリアに抑留され、11年間も生死の極限に置かれました。復帰後は大阪の商社に勤め、実際には会長職まで上り詰め、その後は中曽根内閣の参謀として「行政改革や教育臨調」に携わりました。まさに彼の回顧録『幾山河』の如く、怒涛の人生でした。そのシベリア抑留時の精神と肉体の極限状態を描いた山崎の筆致は、何とも凄まじいばかりです。この小説の連載中、ロッキード事件が明るみになったことは、彼女の推理、予知の能力として話題を呼びました。その後も『大地の子』、『沈まぬ太陽』、『運命の人』と、晩年に向けてもその情熱は燃え続けます。2013年、『約束の海』の連載が始まった9月、89歳で生涯を閉じました。まさに、小説に生きた幸せな生涯現役だったと言えるでしょう。

文責:木藤文人

 

参考文献:『山崎豊子 スペシャル・ガイドブック』新潮社山崎プロジェクト/『山崎豊子先生の素顔』(野上孝子著)文藝春秋

 

*** もっとおススメ本 ***

●『山崎豊子 死後第一声』
/大川隆法(著)

/1,540 円(税込)
(2013年12月発刊)


〈本文より抜粋〉

 彼女が社会悪を追及、あるいは追究する背景には、「神仏の眼」と「運命に翻弄される人間」、「結果としての地獄か、それとも希望か」といった視点があったのだ。それにしても、『白い巨塔』や『華麗なる一族』、『不毛地帯』などは、小説として読んでも、TVドラマとして見ても、面白かった。成功の陰にある闇の部分に、あるいは、仏教的視点があったのではないかというのが、本書での最高の発見かもしれない。死後の世界についての第一人者が誰であるのかも、的確に見抜いていたのだろう。

(「あとがき」より)

著者プロフィル

大川隆法(おおかわ りゅうほう)
 幸福の科学グループ創始者兼総裁。
1956年、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業。81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界184カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。著作は42言語に翻訳され、発刊点数は全世界で3250書を超える。また、28作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、450曲を超える作詞・作曲を手掛けている。